2004年卒
静岡県出身 田村杏奴さん
ILSC Education Group Sales team-Japan office 勤務
在学時:オーケストラサークル、福井ゼミ etc.

↑オーストラリアキャンパス勤務時の写真
「タダで授業を受けさせてください、その代わり午後は無償で働きます。」オーストラリアに移住後、入学申込書と履歴書をもって交渉をしに行った田村さん。その行動の原動力とは何だったのでしょう?
「“考える”と“不安に思う”は別物」
01. 現在、どんなお仕事をされていますか?
現在は、ILSCE ducation Groupの日本担当のセールスをしています。ILSCはバンクーバーに本部を置く世界3か国7都市に展開する語学/専門学校で、現在5000名以上の学生が就学しています。2009年からオーストラリアキャンパスにて7年ほど勤務したのち、日本支部を立ち上げ現在は東京にて遠隔勤務をしています。
日々の業務としては、主に3つありあります。1つ目は、留学エージェントへの営業です。2つ目は、留学エージェントが開催するイベントで、留学をしたいという学生と直接話しをすること。最近の土日はこれで埋まってます。3つ目は、オーストラリアにある3キャンパスに勤務する職員とコミュニケーションをとって、学校に通う日本人の学生に関連する対応をすることです。
02. 今のお仕事につくまでの経緯を教えてください。
卒業後は日本国内で就職し、そこで3年くらい勤務しました。そこから結婚して、夫が働いていたオーストラリアに移住しました。
オーストラリアに到着直後は、即戦力となる経験も英語力も勉強する資金さえも乏しかったです。そのため、語学学校に入学申込書と履歴書をもって交渉をしに行きました。「タダで授業を受けさせてください、その代わり午後は無償で働きます」という交渉です。まずは、1か月の様子見るということになりました。その後半年間どうにか続けられるように色々な策を練ってどうにか半年間の「就学」と「インターン経験」をゲットしました。ちょうど、半年のインターンが終わるころたまたま受付スタッフが辞めてしまい、その流れで声をかけてもらい正社員として今も働いています。
03. 交渉をするというのはなかなかガッツのいる行為だと思いますが、そのガッツの源は何だったのでしょうか?
「別に何も失うことがない、恥をかくくらい。だから、うまくいくかもしれないから交渉してみよう!」って思いました。
よく、「強いですね」とか「ガッツがありますね」とか言われますが、どちらかというと物事を簡単に捉えてるだけだと思います。正直、心の中ではびびっています。だけど理屈で考えて、失うものはないじゃんと思って行動していますね。何かこうするぞって奮い立たせて行動している訳ではないです。まあいっか、やってみてダメでも他を考えようくらいの気持ちですね。
あとは、「考える」ということと「不安に思う」ということを分けて理解したほうがいいと思います。こうなったらどうしようとか、こんなリスクがあるって立ち止まって思い悩むことはただの不安です。考えていることではありません。そこを分けて理解していると、自然とポジティブになれるんじゃないかなと思います。
04.こういった考え方は子供の頃からあるものですか?
いや、私は気にしいな性格なので、大学生の時も人の目を気にしてましたね。でも、年取ってくると、自然に図々しくなるんですよ。それもあると思うし色々やってみた結果、「失敗しても人って無傷」ということに気づいたからですかね。心はちょっとだけ傷つくけど、すごい大変なことになったかというと意外に大丈夫なんです。
うらやましいのが、オーストラリア人は根拠ない自信があるように見えるんです。それは、育てられ方だと思います。失敗に関していちいち細かく言及されず、むしろ褒められまくって育ってきているので。日本人はあまりそういうのがないじゃないですか。特に私も含め女の子は自信ない子が多い。でも、失敗と成功体験を繰り返して「失敗してもなんとかなった」「死ななかった私」という経験を繰り返すとだんだん平気になってきます。

「この大学では利口にならなかったけど自由になった。」
05. APUでよかったことは何ですか?
1つ目は、「違う人」に対して平気ということですかね。日本の社会だとこれが常識、普通っていうことを勝手にみんなが思っていることが多いです。その常識や普通を共有している間はいいけど、ちょっとでもずれると「お前がおかしい」みたいな紛争に繋がってしまうんです。でもAPUだと国際学生がいることで、違うことが前提です。その中で、どうやって共通点を見つけるか、合意していくかを無意識に考えています。多様性というのは、国籍だけでなく世代や立場の違う人、性格がねじまがった人、多様性に寛容でない人も含みます。その人たちに対しても自分の意見を持ち、相手を一旦は受け入れることができているのは環境のおかげだったと思います。
2つ目は、そこそこ英語力があったことですね。日本から海外に来ている、日本人エリートの人たちと(たとえ英語で)話しても、日本的なコミュニケーションになっちゃってるときがあるなと感じます。自分の言いたいことを遠回しにしすぎて結果的に何を言ってるのか分からない。会議で話した後に「あれはないよね」とか言ってしまうような日本的なマインド。でも私はAPUにいたことで、日本人以外の人とコミュニケーションをとるための能力が身についていたと思います。
3つ目は、プレゼンテーションが割と得意なことです。留学エージェントのイベントで他大学の学生と話すとプレゼンテーションやディスカッションをやったことがないという人が8,9割いるんです。でもAPUには小さい頃からプレゼンテーションを学んできている国際学生が多くいます。大学では教授に教わることもあるけれどAPUは特に周りの学生から学ぶことも多いと思います。だから、みなさんも国際学生からプレゼンテーションのやり方を学び活かしてみてください。
06. APU時代に失敗したことを教えてください。
1つ目は、アウェイ経験の少なさです。APUって外国みたいだから何となく誰とでも、どこででも余裕でやれそうな気になっていました。でも、海外で働き始めて、二級市民のような気持になりました。だから、アウェイな環境でも渡り合える力を身につけられるように、自分が圧倒的にダサく思える環境に慣れておくべきだったなと思います。
2つ目は、通じればOKの英語しか身につけられなかったことです。APUの環境の中で培った対話力によって努力せずとも気持ちよくコミュニケーションがとれることに慣れてしまっていました。しかし、中堅になると重要なステップが待っています。公的な文書を書く、人を動かすスピーチをするためには通じるだけの英語ではいけません。
3つ目は、ピュアすぎたことです。APU時代、他大学から夏期特別講義でいらしていた教授に「APUの学生は純粋すぎる。理想郷に住んでて世界がwe are the world脳になっている。」と言われたことがあります。APUの土地柄もある。人類が集まってぶつかり合いながら最後はどうにかできることを知ってしまったこともある。色々あると思いますが、とにかく東京の大学生は現実的で大人びていて小利口に見えます。私は、東京に行った時にその人たちの方がかっこいいなと思ってしまいました。だけど、ここまできて思うのはwe are the worldで基本いいと思います。自分がピュアすぎっていうのをある程度認識した上で、そのピュアさを変える必要はないと思います。
07. APU時代に経験、学んだことで今に繋がっていることがあれば教えてください。
抽象的なことはあまり言いたくないですが、「怖いけど、やるしかねえ、やってみよう」という精神でしょうか。今、APUの雰囲気がどんな感じかわかりませんが、私たち一期生は、とにかく「よくわからないけど、やってみよう。」という感覚を共有していました。
結構世の中、リスク無いのに誰もやってないことや、ばかげ過ぎている発想で手を付けてないことがあって、この精神があれば一気に人に差をつけられるという経験をしています。これまで少なくとも数回、これで人生を変えるチャンスを得ています。

「慣れないことに慣れること」
08. これからのビジョンを教えてください。
外資の営業職なので海外には年4~5回程度、国内出張は毎月あります。ですが、サラリーマンの夫をはじめとする周囲のサポートで2歳半の息子を持ちながらフルタイムで働いています。そんな大変な思いをするよりも、もっとゆっくりした仕事をしたら?というような声もありますが、今のところいったんこれで行こうと思っています。
これは夫か私か、どちらかが一時的にでも一人で一家を養える環境にしてあれば、家族の自由度、安心度、可能性が無限に拡がる思っているからです。
たとえば、私だけでも一家を養えるなら、たとえば、もしも夫が仕事で体か心のバランスを崩しかけたとしても、決定的に折れてしまう前に安心して仕事を辞めて体制を整えることができます。あるいはもう一度彼が大学院で勉強したいとなった場合も夢のために頑張らせてあげることができます。もちろん、私がそうなった場合も同様です。もしくは、子供に天才的な才能が見つかってどこかの国に移住しようか、なんてなった場合でも現地で仕事を探す際に、2人で仕事を探した方が仕事が見つかる可能性は倍になります。妻の仕事を夫がサポートして、妻に経済力をつけさせておくことは、夫自身の楽にもつながるんですよね。
こういうことを体現して、もう少し、男も女もストレスなく楽に生きられる空気を日本にもひろげたいです。失敗や注意点なども公開して一般的な男の人のように働く女の人=ふつキャリのロールモデルになれるようになれたらなと思っています。まだまだなので、ちょっと図々しいですが(笑)
09. 学生時代に夢はありましたか?
無かったです。正直、夢は無いならないでいいと思います。あるならあるにこしたことは無いんですけど。無いのにそれっぽい夢を適当につくってそれに固執するのは絶対やめた方がいいです。無いならないでよくて、やってるうちに絶対できてくると思います。夢を持つっていいことだと思うんですけど、他の可能性を排除してしまうことにもつながると思います。今見えてる視野、見ている世界って、私も含めまだまだ狭いんです。夢がないことを恥じる必要もなければ夢なんて3ヶ月ごとに変わってもいいと思います。3ヶ月ごとに自分が言ってる夢が変わっていく中で、もしかしたら根底に流れている似たような要素があるかも知れません。それこそがもしかしたら将来的に本質的な自分の軸に繋がるんじゃないかっておもいます。無理やりひねり出すことはありません。せっかくの縁で目の前にあることを一生懸命やっていれば、とりあえずそれでいいと思います。
10. 在学生へのメッセージをお願いします!
ネガティブで思考停止している大人たちに騙されて社会に出ることに対して憂鬱にならないでください。また、世の中こんなもんだというふうに、悟った感じを出して偉そうに話す大人の話は、だいたい半分くらいに聞いておいた方が無難です。彼らは間違ったことは言っていないかもしれませんが、それは彼らが生きた過去の感想です。
社会人は学生より自由だし楽しいし、やりやい事の具体的なアイデアがたくさん生まれてくるし、37歳になって子供がいても全力で働けるし、ばかげたことはたくさんできますし、先の人生を模索することだって可能です。慣れないことをすることに慣れること。常に柔軟に考えて工夫すること。世の中に対してビビらないこと。こんな感じの態度でいいんじゃないでしょうか。